今回紹介するのは、ボディビル界の神話ことセルジオオリバです。
世界で最もレベルの高いボディビル大会、ミスターオリンピアでは1967年-1969年にかけて3連覇しており、1969年の同大会ではアーノルドシュワルツネッガーを破っての優勝をしています。
そして、なんといってもオリバの象徴的なポーズである、オリバポーズはとても有名です。ウエストは68cmしかなかったにも関わらず、胸囲は149cm、上腕は57cm近くあったと言われ、見事なまでの逆三角形のプロポーションでした。
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セルジオオリバのプロフィール
名前:セルジオ・オリバ(Sergio oliva)
ニックネーム:神話(The Myth)
職業:ボディビルダー、警察官、俳優
生年月日:1941年11月12日
出身:キューバ共和国ハバナ
身長:178cm
体重:102kg-106kg
胸囲:149cm
上腕:57cm
ウエスト:68cm
セルジオオリバの生い立ち
幼少期
セルジオオリバは1941年にキューバで生まれました。
幼少期はサトウキビ畑で父親と一緒に仕事をしていましたが、16歳の時にキューバ元大統領のフルヘンシオ・バティスタ率いる軍隊に入隊しました。
戦争でフィデル・カストロ軍に負けた後は、オリバはキューバに留まり、ビーチでぶらぶらしていたそうです。
そこで、出会った人にオリバはウェイトリフティングをやらないかと誘われ、ウェイトリフティングを始めました。
アメリカに逃亡
半年のトレーニングの後、オリバはウェイトリフティングの全国大会に出場しましたが、いきなり準優勝をしました。
この大会のチャンピオンはジャマイカでの世界大会に出場権を獲得できますが、チャンピオンが怪我をしてしまったために、準優勝のオリバが出場することになりました。
しかし、ジャマイカでの滞在中、オリバは宿舎から逃げ出し、そのままアメリカに亡命をしました。その後、フロリダ州マイアミに住み、テレビの修理士として働きました。
アメリカでの生活
1963年にオリバはイリノイ州シカゴに移住し、製鉄所で毎日12時間近く働き、仕事が終わった後に3時間近くトレーニングをしていました。
オリバは同年に「Mr. Chicago 」というボディビル大会に初出場し、いきなり優勝。その後も数多くの大会で優勝を勝ち取ります。
1966年には世界で最もレベルの高いボディビル大会である「ミスターオリンピア」に初出場し、4位入賞。翌年の同大会では圧倒的な肉体を披露し、見事優勝を果たしました。
1968年の同大会ではセルジオオリバ以外に、出場者がおらず、大会初の不戦勝での優勝を飾りました。
1969年の同大会ではオリバのライバルである、アーノルドシュワルツネッガーを破り、優勝し、3連覇という記録を成し遂げました。
ちなみにアーノルドシュワルツネッガーはこの敗戦がミスターオリンピア における唯一の黒星となっています。
オリバは1970年にアーノルドシュワルツネッガーに敗れ、1972年にミスターオリンピア を主催するIFBBからは脱退し、WBBGという連盟でボディビルを続けていました。
ミスターオリンピア復帰
1972年のミスターオリンピアを最後に、別団体でボディビルを続けていましたが、オリバは1984年の同大会で復帰しましたが、結果は8位。
1985年も出場しましたが、同じく8位という順位に終わります。
妻と口論の末、銃で撃たれる
1986年には妻であるアーリーンギャレットと些細な喧嘩から口論になり、怒った妻はオリバにお腹に向けて銃を5発撃ったそうです。
腹部に5発銃弾を受けたオリバは自分で車を運転して、病院に行き、治療を受けたと言われています。
オリバを撃った銃は38口径のリボルバーで一般の人なら即死しても不思議じゃないですが、オリバの圧倒的な筋肉量で、致命傷には陥らなかったといいます。
セルジオオリバの死因について
セルジオオリバは2012年11月13日、71歳で亡くなっています。
死に至るまでの数ヶ月間に腎不全の透析療法を受けていましたが、公式の発表では心臓発作で亡くなったのことでした。
セルジオオリバの息子、ジュニアについて
オリバにはセルジオオリバジュニアという息子がおり、彼もまた現役のボディビルダーです。
2015年の「NPC National Bodybuilding Championships」で優勝し、プロカードを取得しています。
最近では2017年のNewYorkProで優勝しています。
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セルジオオリバとバキの関係性

グラップラー刃牙に出てくる人気キャラクター「ビスケット・オリバ」
このキャラクターのモデルはセルジオオリバがモデルだったと言われています。
セルジオオリバのトレーニングメニューについて
セルジオオリバは週6回トレーニングをし、各部位が週に2回トレーニングできるようにルーティンを組んでいます。
セルジオオリバは日中は製鉄所で10時間近く肉体労働した後にトレーニングをし、1回のトレーニング時間は2〜3時間だそうです。
参考までにセルジオオリバの1週間のトレーニングメニューを紹介します。
月曜日:胸、背中
種目 | セット数 | 回数 |
ベンチプレス&チンニング(スーパーセット) | 6セット | 8回 |
ダンベルフライ&ディップス(スーパーセット) | 5セット | 15回 |
火曜日:肩、腕
種目 | セット数 | 回数 |
ショルダープレス | 5セット | 15回 |
バーベルカール | 5セット | 5回 |
フレンチカール | 5セット | 5回 |
バーベルスコットカール | 5セット | 10回 |
ダンベルスコットカール | 5セット | 5回 |
ダンベルフレンチプレス | 5セット | 5回 |
プレスダウン | 5セット | 15回 |
水曜日:脚、カーフ、腹筋
種目 | セット数 | 回数 |
シットアップ | 10セット | 50回 |
レッグレイズ | 5セット | 20回 |
サイドベント | 5セット | 200回 |
スクワット | 5セット | 5回 |
スタンディングカーフレイズ | 10セット | 8回 |
木曜日;胸、肩、背中
種目 | セット数 | 回数 |
ベンチプレス | 5セット | 5回 |
バックプレス | 5セット | 5回 |
ローイングマシン | 5セット | 12回 |
ダンベルプレス | 5セット | 8回 |
ディップス | 5セット | 8回 |
金曜日:背中、腕
種目 | セット数 | 回数 |
ナローベンチプレス | 3セット | 5回 |
スコットカール | 3セット | 5回 |
フレンチカール | 3セット | 5回 |
ダンベルカール | 3セット | 5回 |
ビハインドネックチンニング | 5セット | 5回 |
クローズグリップチンニング | 5セット | 5回 |
土曜日:脚、腹筋
種目 | セット数 | 回数 |
スクワット | 6セット | 3回 |
フロントスクワット | 5セット | 10回 |
ライイングレッグカール | 5セット | 12回 |
シットアップ | 5セット | 10回 |
レッグレイズ | 5セット | 10回 |
サイドベント | 5セット | 50回 |
日曜日:オフ
セルジオオリバの食事内容
セルジオオリバの食事はダイエット中でも食べたいものを食べるようにしており、大会前にも関わらず、ホットドッグやハンバーガー、炭酸飲料を飲んでいたこともあったそうです。
トレーニング中は温かいコーヒーを水筒に入れて持ってきていました。コーヒーを飲むことで汗をかきやすくなり、エネルギーを与えてくれると考えてたそうです。
参考までにダイエット中の食事を紹介します。
1食目 | 卵白12個 オートミール1カップ |
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2食目 | 魚226g 白米1合 マグロ |
3食目 | ステーキ340g サラダ 白米1合 |
4食目 | 鶏ムネ肉2枚 オートミール2カップ 野菜 |
5食目 | 魚226g サラダ 野菜 |
6食目 | 卵白10個 白米1カップ マグロ |
セルジオオリバの過去の大会成績
1位 | 1963 Mr. Chicago |
---|---|
1位 | 1964 Mr. Illinois |
7位 | 1964 Mr. America |
2位 | 1965 Junior Mr. America |
4位 | 1965 Mr. America |
1位 | 1966 Junior Mr. America |
2位 | 1966 Mr. America |
1位 | 1966 Mr. World |
1位 | 1966 Mr. Universe |
4位 | 1966 Mr. Olympia |
1位 | 1967 Mr. Olympia |
1位 | 1967 Mr. Universe |
1位 | 1968 Mr. Olympia |
1位 | 1969 Mr. Olympia |
2位 | 1970 Mr. World |
2位 | 1970 Mr. Olympia |
2位 | 1971 Universe – Pro |
2位 | 1972 Mr. Olympia |
1位 | 1972 Mr. Galaxy |
1位 | 1973 Mr. International |
1位 | 1973 Mr. Galaxy |
1位 | 1974 Mr. International |
1位 | 1975 Mr. Olympus |
1位 | 1976 Mr. Olympus |
1位 | 1977 Pro World Championships |
1位 | 1978 Mr. Olympus |
1位 | 1980 Pro World Championships |
1位 | 1980 Professional World cup |
1位 | 1981 Professional World Cup |
8位 | 1984 Mr. Olympia |
1位 | 1984 Professional Mid-States Championships |
8位 | 1985 Mr. Olympia |
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